政治はベターを選択するということ
今朝、スッキリを見てたのですが、ちょっと気になる発言があったので、本日はその件で。
舛添さんの辞任について、宇野常寛というコメンテーターが、こんな感じのことを発言していました。
- この程度のことで知事を降ろすのはバカバカしい。不正額は多く見積 もっても1000万円。選挙費用は46億円。
- 目立つ人間を叩いてたら、意欲を持って知事をやろうという人はいなくなる。前に出ない方が人生うまく行く、というつまらない国になる。
- 政治はベストでなくてベターを選ぶもの。何がベターであるかの判断基準を見失っている。
http://blog.livedoor.jp/ninji/archives/47800512.html
こちらの方は私よりも詳細に記憶しているようです。
判断基準はお金だけじゃないだろとか、不正を叩くことと出る杭を叩くことはつながらないだろとか、いろいろ突っ込みどころもありますが、いちいち一人のコメンテーターの意見にもの申す気分でもない時間帯なので、ここはスルーします。
さて、本日の話題はタイトルの通り、政治はベストではなくベターを目指すというもの。
これは経験上そうなのだろうな、とも思いますが、宇野くんの言葉を聞いて解釈は重要だな、と思ったので私見を述べたいと思います。
政治はベストではなくベターを選ぶという文言が広まって久しいかと思います。多くの人が知ったような風に吐くセリフですね。
やくみつるさんではないですが、ちょっと待った!
この文言を宇野くんのように解釈する人は多いように思っています。
視野が狭いという批判もくるかもしれませんが、この文言については政治あるいは政治家のすべての要素に当てはまるものではないと解釈したいです。
では、何にあてはまるかというと、あくまで「政策」です。
結局のところ、どういう政策をすれば正しい結果になるのか分からないという、ごくごく当たり前のことを言い直しただけのことなのです。
恐らくこういう政策の方が良さそうだな、という判断をしましょ、ということなのです。
今回の件について言いますと、不正1000万円について目をつむったほうが、選挙費用46億円よりベターだろ、ということには当てはまらない。
選挙も政策のひとつという考え方もあるだろうが、ここはうまく落ちてこないですね。
選挙は、あくまでも政策を実行するための(政治家を選ぶという)手段ではないでしょうかね。
それでも今回のことについて何がベターかというと、知事には変わってもらう方がベターな気がします。ここには、お金という尺度だけでなく信頼という尺度をもってきています。
なお、政治について、為政者の人格という面ではベターではなく、ベストを選びたい。
ベストな人なんて人によって観点も違うし、そもそも何がベストかも分からないです。
でも、やっぱり人格はベストであってほしい。
もっともベストだのベターだのというのは言葉の綾です。ベストが何か、ベターは何かという議論はしません。
少なくとも人格については不正はしない清い人、政策については選択肢の中でまぁ良いかなというものを選ぶ必要があると思います。
不正しない清い人ってわりといるものですよ。
ちなみに私は都民ではありません。
この前の都知事選のときは東京にいて投票を行いました(舛添さんではない人に投票しました)が、今は地方に移住しましたので、今の都の状況については責任もありつつ、部外者でもあるという微妙な立場の人間です。
でも、今回の動きは非常に注視しています。