もしも人間が音で物事を判断する動物だったら
光速度不変の原理とか、それをもとに光の速度を超えることができない、とかなんか面白い。
自分の動くスピードが速くなると、時間が遅く流れるとか。
うーむ。
数式の上では理解できるのですが、感覚的にはちょっと理解できないところもあるなぁ。
例えば自分の動くスピードが速くなると、見ているものの動きが遅くなるのは分かる。
見ているものの動きが遅くなる = 時間が遅く流れる
例えば、私はここでつまづいてしまう。
目で見える時間が遅いからといって時間が遅くは流れないような気がする。。。
例えばビデオ、、、というと古いな。ブルーレイの映像を2分の1のスピードで観測したとしても自分は通常通りに動くことができるし、心臓の鼓動もやっぱり遅くはならないような気がする。。。
光速度不変の原理についても、もしも人間に目が無くて光を感知できなかったら、どうなってたのだろうか。
例えば耳が感知の主機能だとしたら、つまるところ音で物事を判断する動物だったとして。。。
音の反射で壁があることや、壁までの距離を判断する、そんな動物だったとしたら、
光速度不変の原理ではなく、音速度不変の原理とかになってたのかな。
そして、音速を超えることはできないっていう理論になってたのだろうか。
結局のところ、光で物を見ている=物体を検知している、見えている状態というものが時間を支配しているという発想に基づいているもののように感じてしまいます。
物理屋さーん、教えてください。
どうなのでしょうね?