cyborg’s blog

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ようやくアラファト議長回顧

10日ほど前に、アラファト議長が死去。
有名な言葉として「オリーブの枝と銃を携えてきた。私の手からオリーブの枝を落させないでほしい」というのがあるらしい。
知らなかった・・・
私の印象としてはアラファト体制では全くもってパレスチナ情勢に変化は見られなかったということ。
ただし、パレスチナに和平をもたらしたいという感情をどれほどの人が持っていたのかは甚だ疑問である。
イスラエルは軍事行動が好きそうだったし、イスラエル住民もパレスチナに対して敵意に近い感情をもっていたように感じる。
一方のパレスチナ武装勢力はもちろん、一般住民もやはりイスラエルに敵意に近い感情を持っていたように思う。
即ちお互いが考えていた和平とは、「相手を叩きのめした上に築かれる平和」なのではないだろうか。
上記状況を生み出した一因がアラファト氏にあるのか、あるいはアラファト氏が議長であろうがあるまいが泥沼化していたのだろうか。
少なくともアラファト氏は最終局面において両者の板ばさみにありつつ、感情としてはイスラエルに敵意をもっていたように感じる。
アラファト氏がパレスチナのテロを抑止しようとすればパレスチナ住民に敵意を持たれ、一方テロを黙認すればイスラエルから敵意を持たれる。
ユダヤあるいはイスラムなどの民族意識、宗教意識がお金の問題よりも遙かに人類の心に根ざした問題である限り、パレスチナの和平は難しいのではないだろうか。
それはカリスマ性を持っているといわれたアラファト氏でももたらすことができなかったということが証明している。
今後の自治政府はパレスチナ住民の反発を押し切ってイスラエルと和平交渉を進めた上で、時間経過による敵対感情が薄れるのを待つのかあるいはイスラエルと戦争をすることで民族の勝ち残った方が平和を勝ち取るのかの選択肢に迫られるのか?
あるいはもはや国際社会が一部地域を見過ごせない時代となった今では後者はありえないのではないか。
必ずや米国、欧州の介入がなされるからだ。
前者の状態に入ろうとして入れない時代が続くのではないかと考える。