cyborg’s blog

たまに更新します。

空気を読む

しばしば言われる言葉がある。「空気を読んでない」「空気を読みなさい」。
周囲の方々には本当に申し訳ないが、無理。
僕には恐らく「空気を読む」力がない。ある種の障害かもしれないのである。
まぁいわゆる葬式で笑ったりや結婚式で悲しませたりということはない。
つまり、もの凄く分かりやすい雰囲気の場(レベル1としておこう)においては、この能力に少々の欠落があっても対処できるのである。
ところが、雰囲気の分かりにくさがレベル2に引き上げられると途端に分からなくなる。
もちろん分かる努力をしていないような気もするが、努力云々という話ではないような気がする。
とも思ったがひょっとすると努力なのかもしれない。
雰囲気を読むとは相手の思考・嗜好を理解するということでもある。
3人で話をする場合、自分以外の2人にも通じる話をしないと、「空気を読んでいない」ということになるわけである。
つまりその場にいる人たちの価値観と共有できる話題をいかに提供できるかということにつながる。
彼らに認識できない話題を振るべきではないということなのかもしれない。
例えば大人数が会話に参加する飲み会では、「空気を読む」能力として非常に高レベルを要求されるわけである。
飲み会の隅っこで価値観を共有できる人とのみ話していれば簡単だが、会社の飲み会ではそうはいかない。
不特定の人5,6人くらいで会話が繰り広げられることが多い。
となると「空気を読む能力」とは即ち「如何に一般的話題をすることができるか」ということになるわけである。
一般的とは誰にとっても差し障りのないことであり、例えば「今日は晴れてますね」などがその最たるものだと考えられる。
一般的というと簡単な気もするが、ところがそうではない。
各人によって一般的の定義が異なるわけであり、会話範囲が増えると逆に一般的範囲は狭くなるのである。
狭くなった範囲から如何に自分の会話を引き出せるかということが必要になるから難しい。
以上まとめると「空気を読める人間」とは「会話する範囲内で差し障りのない会話を長時間持続することができる人間」ということであり、レベルが高い人ほど「会話する範囲」を広くもつことができる人なのである。
うー、やはり私にはちょっと壁が高いな。