cyborg’s blog

たまに更新します。

何かと

今週1週間は部長に説教、いや切れられることが多かった。
説教は自分から見てどこかしらでも認める部分があり見習いたいと思う部分がある人、言うなれば自分が認める格上の要素をもっていて、その人に諭されるときに使う言葉だと考える。
やはり「切れる」が妥当かと。
全てはとある事業部長の一言から始まった。「○×△みたいなサービスはどう?」
仮説を立てるのはよいと思う。そのサービスが物になるかどうかの検証が必要だと思うが、どうも我社では違うらしい。
事業部長の一言は重いらしくて、仮説は絶対なのだ。
調査を深めて売れる要素がないと思っても、進めねばならないのだ。
どれだけデータで後ろ向きの姿勢を示しても、、、ダメなのだ。
さて切れられたパターン。もっとあった気がするが、さすがに全部は覚えきれない。

  • 事業計画を記したとき

 部長「なんで、こんな来年までかかるようなの書くんだ」
 自分「○と△と×も並行して進んでいるからです。これだけやってるわけじゃないので」
 部長「そんなのは言い訳だ!遅くとも3月頭までに終わらせろ!」

  • 事業起案書を提出したとき

 部長「この資料じゃ、この事業はやりませんって言っているようじゃないか」
 自分「そうです。調査結果により、あまり踏み込む分野だとは思えません」
 部長「それじゃ、この2ヶ月は無駄じゃないか。給料やれねぇよ」

  • 同じく事業起案書を記したとき

 部長「このモデルで自分らの会社の強みはなんだ」
 自分「特にあるとは思ってません。爆発的に売れるコアサービスとは思ってません」
 部長「そんなのが許されると思ってるのか」

  • 再度事業計画を記したとき(その1の続き)

 部長「3月頭までって言っただろ」
 自分「これだけをやっているわけではないので、他のを外してください」
 部長「そんなの誰だってそうなんだ。俺だって休みの日に会社来てるんだ。徹夜しろ!」

  • 所感

事業計画を強引に根拠のない期限で切り、期限までの達成方法として「パワー勝負」をモットーにされるとたまらない。
あなたみたいに好きでやってるわけではない人だっているのだ。
自分でやりたいといった事業ネタならば話は別だが、そうでないところが問題である。
違う分野の新事業ネタをもっていっても「別に俺らがピザ屋をやるわけじゃないんだから」といってハナから潰れる。さらなる調査をする時間さえも認められないわけである。
起案段階で売れる見込みの感じられないままで残り3ヶ月弱で売れるサービスに昇華できるとは到底思えない。
さらに譲歩して、調査結果により踏み込む分野でなくても売れるサービスになるように頭を絞るというのはAgreement。ただしさらなる調査期間の必要性を感じないのだろうか。
顧客の目の前にぶら下げるだけで売れるサービスであれば、サービスリリースまでの時間感覚が必要。
売れないまま過渡期を過ぎてしまったサービスの枠組みを見直すのであれば、それなりに時間が必要。特に入念な市場調査が必要。
少なくとも私がやっているのが後者である以上、生半可な調査ではダメなのだ。
このまま続けて可哀相なのは私ではない。
不良サービスの確率が高いものを実際に開発する開発部、そして出来上がったサービスを売ることになる営業、売った後にサポートをするサポート部。
真に可哀相なのは彼らである。そうやって彼らのモチベーションが下がっていくわけである。
先日の会社でのアンケート。
20歳代は「会社の仕事方法や内容に納得できない人」が約半数にも昇っている。
上記の項目について、不満をもっている率がもっとも高いのが20歳代とのこと。
恐らく根本原因は「業務内容がつまらない」からだと思う。
業務が楽しいものであれば、少々の残業だって気にならない。
でもここまで不満を持つ率が高いということは、「つまらない」が普遍的意見だと言えるのではないだろうか。
もちろん、つまらないといっても定時内は真面目にやりますとも。
でも、そんな仕事に対して「徹夜しろ」「休日返上しろ」を連発されてはねぇ。
年輩の方々はよく言う、「昔はね、今と違って2,3日徹夜だって当たり前だったんだから」、しかも自慢げに。
「他の人も多くの仕事をかかえていて、残業してつないでいる」「だからお前も」という発想はいかがなものか。多くの人が残業を抱えている状況を問題視して、そうならないようにするのが優れたマネージメント能力であると思うのだが。好きでやってる集団ならば話は別だが、そうでないのが明らかなのだから。
古き良き風習と、古き悪しき風習を混同した支配者層の考え方が業務の悪化、日本国というマクロ視点ではニートの広がりにも繋がっているのかとも思う今日この頃。