cyborg’s blog

たまに更新します。

つまらない

夜、飲み屋に行く。
帰り道、同じ電車に乗った同僚に飲み直しをしないかと誘われる。
行きたくない・・・・・・どうせその後の展開が見えてるから。気分が悪くなるという展開が。
で、案の定。
断りたいけど、断れない相手である。
飲み屋に行っても切れ気味のお話での僕に対する攻撃ばかりで、飲んでて気持ちよくなったことがない。
議論する気にもならない。
反対意見を言うと切れるから。
そうですね、そうですね、と頷くばかり。
「何で好きな人ができないの? それでいいの? 変わろうとは思わないの?」 と言われても・・・・・・。
好きな人というのは無理矢理に作らなくてはならないものなのでしょうか。
そのうち、安倍首相はダメ、教育方針がダメ、パソコンは悪い等々。
さらには、「前の君の職場はパソコンを相手にしていた職場だから、熱い人はいないでしょう」とか、よく言えるものです。
別に意見を言うのはいいのです。けど、それに対して反対意見を言わせない雰囲気はいかがなものか。
そのうち、その人に反対意見を言うのは無駄な労力と思い、頷くだけになるのです。
演劇業界よりもよっぽど前の職場の人の方が、いい人で人間味があって個性的で熱い人がいましたよ(仕事の内容はつまらなかったけど)。
けど、前の職場の人には申し訳ないながら、「いないです」と大人しく答えてしまうのです・・・・・・。
これが国家大計や自らの身に関わってくることならば、例え切れられようが反対するのでしょうが、結局そういう状況ではないわけだから、議論をしない方が得という判断になるのですね。
結局疲れるだけですけど、飲みに行くのを断って切れられるよりも、あるいは自分の意見を言って切れられるよりも得だと考えるのです。
映画作品や演劇作品に対する価値観にまで、攻撃をしてくるわけですから・・・・・・。
彼にとってつまらない映画を面白いと感じることは法律的に悪いわけでも、倫理的に悪いわけでもないと思うのだけれど・・・・・・。
そうして今日の飲みでも気分が悪くなって帰宅したわけだが、後悔はしていない。
何故なら帰り道が一緒になった時点で、私は選ぶことができる選択肢の中ではベストチョイスをしたと思うから。
そう、悲しいかな「飲み屋に大人しく付いていき、そして気分が悪くなって帰る」というのがベストチョイスなのです。
一次会に行くと決意した時点で、そうなることは分かっていたのです。
たとえ飲み直しで気分が悪くなろうとも、一次会のメンツの中には入っておきたかったのです。
一次会に出席することを考えれば、それは想定内のリスクなのですよ。