cyborg’s blog

たまに更新します。

情報は疑え

最近、ある出来事というかやりとりで考えたことがある。
「情報は疑え」ということ。
信じるものは自分の目で見た光景、耳で聞いた音。つまり直接の情報。
一歩ゆずって、実際に顔をあわせてきて人となりを知っている友人や親など僕自身が信用している人の言葉。これは間接の情報。
写真や映像、録音物なんかは一見して信じてしまいがちだが、これも誤り。
写真や映像、録音物というものはそれを提示する人の言葉で、どのようにも思考が導かれる。
極端な話をするならば、Aさんが「ジャガイモが好き」と言っていたとしても、本当にジャガイモが好きかと断定できるわけではないのである。何らかの事情により嘘をつかねばならなかったとしたら、ってことである。
例えば食わず嫌い王というバラエティ番組。出演者は嘘をつかねばならない状況なのである。
実食の映像を見ないで試食の映像だけを見た場合に、視聴者は真実を得られない。
真実でない結果を刷り込まされることがある。
芸能人の男女がフライデーされたからといっても、それが真実とは限らない。
男女が歩いている写真が合成の可能性だってある。
歩いているということが事実だったとしても、フライデーが導く「その男女は付き合っている」という言葉が嘘の場合がある。「ただの友達」というのが事実の可能性だってあるわけである。
それはそれで楽しむのが週刊誌の位置づけであり、そんなフライデー的なネタは真実性を重視する一般大衆新聞は追求しないのである。
フライデーのような雑誌であれば、そういう情報だと思って見ることができるが、雑誌ではなく生写真とか見せられると人はたちまち勘違いしてしまう・・・・・・多分。
いろいろと御託を並べたが、つまるところ、わけのわからん情報を勝手に信じた奴にいわれのない攻撃を俺がされた。
しまいに犯罪者呼ばわりされたり謝罪しろだの、そんなことをして恥ずかしくないのかだのと。
しかも顔をあわせたこともない奴からのメール攻撃。
あんたの周りを飛び交った情報からあんたが導き出した結果が、俺が「あんなこと」や「こんなこと」や「そんなこと」をしたってことらしい。真実ならば、そりゃ謝罪もしなきゃならんだろうよ。
けど、俺は「あんなことも」「こんなことも」「そんなことも」してないんだよ!
乱れた言葉を使わせてもらうならば、ホントに「ムカつく」ってやつだ。
100歩ゆずって誤解を与えるような行動があったとしたら、半分くらいは頭を下げてもいいと思う。そんな行動があればだが。
が、1000歩ゆずっても、あんたからの攻撃について俺には非はないぞ。
地球1周分の歩数ゆずってようやくほんのちょっとだけ非があるかもしれないが、状況的には不可抗力だ。
っつーか、それを非だとすれば、今の日本で非がない奴なんか一人もいないぞ。
極端に言えば、赤ちゃんだって、さらに言うなら受精卵の状態の奴にだって非ができちゃうことだってあるくらいだ。
いやぁ、ここ数年の中で一番他人にムカついた出来事だ。
ということで、その怒りが冒頭の通りの長い御託につながってしまいました・・・・・・。
話は飛躍するけど、こういう連中がいる限りは裁判員制度はダメだなって思う。
以前に自分だったら裁判員をやってみたいと言ったけど、今の情報社会に踊らされる人間の一端を見た今、裁判員制度にはものすごく危険を感じるよ。
感情に走ってしまうやつが多々いるような気がする。それともその一端が本当に一端であればいいんだけど。
冤罪が増えるんじゃないか?と思ってしまった。
顔をあわせたこともない奴からの攻撃に対して、いちいち全てを説明する義務はない。
信用もできない顔をあわせたこともないやつに、全てを文字情報で説明して、変なところで使われたら、それこそまた2ch的騒動になると嫌だし。
けど話せるとこだけに絞ってピンポイントで反撃したものだから、またそれに対して攻撃が来るわ来るわ。
ピンポイントの反撃もしなきゃよかった・・・・・・こういうのは最初から無視すればよかったのに。。。
そこは反省。
2年前に今の会社に転職して以来、劇的な体験をしたのは2度目である。
前に勤めていた一般企業にいても面白いネタや事件はたくさんあって色んなことを体験できたわけだが、ここまで劇的な体験はきっと前の会社ではできなかった。
そういう意味では、今日になって、ようやく転職して良かったと思えた。
それにしても、ラストフレンズも何か面白くない・・・・・・上野樹里を見るために見ているような気がする。