少子化問題と人口減少
昨日に厚生労働省から人口動態統計で2016年1月の情報が開示されています。
出生数を見てみますと、、、
78,239人
78,239人の赤ちゃんが1月に日本で生まれたのですね。
昨年よりも2,341人少ないとのことです。
2016年は366日ありますので、年間に換算すると
923,725人ということになります。
お、100万人を切ってしまう勢いですね。
少子化と言われる中、出生率は少し下げ止まりから回復基調にありますし、出生数も昨年は少し上がったような記憶があります。
少子化によるデメリットはもっぱら下記のようなところでしょうか。
労働力不足
人口減少はそれ自体がデメリットという次元でもないでしょうので割愛。
(人口減少と共に人口の年代構成が変化してくることによるデメリットはあろうけれども、それらは年金問題とかに帰結することかな。)
もちろん、上記2つから派生する問題もあるかと思います。
例えば労働力不足から経済力が下がるとか。
とは言え、私は少子化はまぁ良いかななんて思ってしまいます。
人口減少賛成派なので。
もっとも自身に子供が生まれてからというもの、子供自体は可愛いという矛盾もあるかもしれませんが、けど全体で100万人前後いれば十分だろうとも思っております。
多分、日本全体の人口が3000万人くらいになって、出生率2強で出生数30万人くらいがちょうど良いかなと思っている次第。
なんならもっと少なくても・・・。
年金問題
これは深刻なんでしょうね。
わが子を保育園にお迎えにいったときとか、多くの子供たちを見てると借金を増やして次世代にツケを回すのは本当にためらわれます。
生活ができる範囲で、私の世代の分を削ってもらっても良いくらいに思っています。
あるいは、できることならば死ぬ直前まで働いて、税金を納める側のまま死んでいきたいくらいです。
さて感情論は抜きにして、本当に出生数が増えれば年金問題って解決するのでしょうか?
政府あるいは有識者のはじき出す数値って、ところどころにカラクリがあって、例えば年間△%の成長をしたとして、とか、実現できるかどうかわからない根拠がたくさんあるんですよね。
結果的に、目標通りの数値になることなんてほぼなくて、あとで解説をするという状況なわけです。
つまり目標を立てることは良いかもしれないけど、その通りにはならないと思っておいた方がよい、なるべく目標よりは悪い数値になってしまう、という前提で動くべきだと思う。
話は年金問題に戻りますが、そもそも税金を納める側に回ることができる人間というのはある程度上限が決まっていて、今現在は、その人数をはるかに超える人間が存在しているのだと思う。
だから、就職できない人がたくさん生じているのだと思う。
出生人数が減ったとしても、(体感では60~70万人くらいまで減ったとしても)非就労者が減るだけで、むしろ税金の流れとしては正常に向かうのではないだろうか。
出生数が減れば、貸与型の奨学金というのも大丈夫にならないかね?
(大学のシステムについては、それはそれで思いがあるが、また別途)
労働力不足
これも上記と同じ理由で、ほぼほぼ問題ではないような気がする。
ただ、現在のように正規雇用と非正規雇用と非就労者の割合が現在と変わらないままで、全体の数が減るのだけはよろしくないでしょう。
出生数の減少に伴い、若者の非就労者数と非正規雇用の数と割合を減らしていく必要はあるでしょう。
ついでに現在職のない人も雇用に吸収していくことができればなお良いかと。
田舎に住んでいるものの、もともと人混みがあまり得意ではない私。
不思議なことに田舎に引っ越してきたときは人が少なくて住みやすいと思ってたけど、慣れというのはやっかいですね。
最近は、信号待ちの車が自分の前に5台ほどいるだけで、なんでこんなに車がいるんだよ、と思うようになってしまいました。
たまに10台ほど連なっていると、もはや自分の中では渋滞です。
恐い恐い。
加筆(7月13日)
もう一つ、大事なことを忘れていました。
子供を産みたいのに産めないという状況はやっぱり問題ですね。
これは政治も民間も合わせて意識を変えていく必要があると思います。
移住経験や転職経験から言っても、その地域、企業のマインドって子育て環境という意味ではものすごく左右する要素ですね。
やっぱり東京よりは今いる田舎の方が、子育てはしやすいですし、前にいた企業より今の企業の方が保育園のイベントのための仕事のお休みも後ろめたさがありませんし。
(私は男なので子供を産んだわけではないけれど、)そういう中で自分としても、これから子供を産もうとする人、育てようとする人にはなるべくその意識が前に向くように接していきたいと考えています。
恐らく、子供は今の次男坊で打ち止めの我が家ですが、子育て環境を提供してくれた地域や会社に感謝しつつ、次はその環境を提供する側にまわる時期にきているのだと思っています。