cyborg’s blog

たまに更新します。

足りないのはマネージャー? プレーヤー?

最近仕事をしていてよく思う。

マネージャーを育てるべきなのか?プレーヤーを育てるべきなのか?

 

ちなみに私はいい歳のわりには、これらを担う立場にない「1プレーヤー」に過ぎないのですが。

 

マネージャーは数は多いが資質が伴っていない(もしくは名ばかりマネージャー)であり、プレーヤーは絶対数が足りない、と感じている。

 

自称マネージャーが多いものだから、そういう人たちはマネジメントをするというよりも、いつまで経ってもコンセプトやら商品案やらをいじくりまわして、市場調査という名のもとに活用されることのない各種データをインターネットから引っ張ってくるだけ。

 

プレーヤーが足りないから、机上で定められたスケジュールが間に合わない。

よくよく見てみると、その項目の実務担当は全部オレじゃねぇーか。

ちなみにいつの間にか、スケジュール管理もオレ、ってことになりかねない。

 

これは今の会社がそうだというのではなく、これまで様々なビジネスに関わってきた中で感じたこと。

 

今の会社は、まだまだ改善の余地はあるだろうけど、その改善の方向を社長以下皆で共有できていると思っている。労働内容は面白い。製造業分野にいたっては、作業自体が心地良すぎて、「えっ?この作業って仕事時間にカウントしちゃってもいいの?」と思ってしまうくらいである。

 

私の会社のことはさておき、マネージャーとプレーヤーについての考えに戻ってみようか。

 

マネージャーは実務に基づくマネージメントのスキルが求められる。理想「だけ」を追い求め、理論・空論のみを一生振りかざし続けるだけの人はマネージャーとは言わない。

 

そしてプレーヤー不足。これは教育ともつながっているのだろう。いつの間にか日本人の多くは汗をかくことを嫌うようになってしまった。頭で考えろ、頭で考えろ、と言われ続けた結果、「理想・空想」を考えるだけの方が楽であるという潜在意識のもとに、プレーヤー=下等な作業の実施者という考えが蔓延している。

プレーヤーは専門性を極めなくてはいけない、やはり難しい職種なのだ。ちなみにマネージメントという専門性を極めたものがマネージャーであるが、それ以外の多くの専門性を身に付けた人たちをひとくくりにプレーヤーと表現されているに過ぎない。

 

とにもかくにもどちらも専門性を身に付けなくてはならない。

 

プレーヤーであるべき人ではあるが、「そういう誰でもできる作業は私の作業ではない」と言って放棄してしまうことも多々ある。

考えて作業しろ!の弊害が出ているのである。

 

誰でもできる作業でありながら、誰もやりがたらないという現象がプレーヤー不足に陥っている要因と思われる。

正確に言うと、誰でもできる作業と言っても少なからずプレーヤーの性格によるサービスや商品の違いは多くの場合出てくるものである。

 

プレーヤーはプレーヤーとしての役割をきちんとかみしめようではないか。

 

以上、思ったことをつらつらと書いてみた。