東京オリンピックの予算問題
日々、ワイドショーをにぎわしている問題。
最近は東京が熱いですね。
と、片田舎から眺めております。
なんか、同じようなブログを書いたような書いてなかったような、、、以前のものとかぶってたらすみません。
こちらの写真は特に意味はありません。。。
さて、舛添さんから小池さんに知事が代わって、会場の変更を試みたりして予算圧縮を思考されたようですね。
ところで、会場を決定するまでのプロセスの中で、ある程度同様の議論ってされてなかったのですかね?
都知事が変わるたびに、ゼロから話し合いを設けるというのはとても非生産的だなと思います。
これは会社での打合せもそうなんだけど、途中から「そもそも論」に入ってしまうと以前に検討してクリアした、あるいは目をつむった問題がまた蒸し返されるのです。
堂々巡りになってしまいます。
特に東京都の場合、都庁の方針でこれまでの議論がすべてひっくり返されるパターンもあるわけです。
それを容認するのであれば、今回の舛添さんの任期途中での退場は仕方がないとしても、知事の任期後のことまで視野に入れて行政が目標を作るのってとてもリスクが高い気がします。
知事の意向の中で、少なくとも知事選が行われるまでの間の政策を考えるにとどめておいた方が良い事柄も多いのではないでしょうか。
小池さんのオリンピック会場問題への切り込みは「再検討」という名でパフォーマンスの面が大きかったのではないかなと思います。実際に400億円の予算削減は見込めそうではありますが、それも現実的にその予算で納まるのかどうかは分かりません。
恐らく、小池さんが再検討するまでもなく、すでにいくつかの問題は検討されていたにも関わらず、再度遡上に上がってしまったものも少なからずあるのではないかと疑っております。
どうなんでしょうね?
足りないのはマネージャー? プレーヤー?
最近仕事をしていてよく思う。
マネージャーを育てるべきなのか?プレーヤーを育てるべきなのか?
ちなみに私はいい歳のわりには、これらを担う立場にない「1プレーヤー」に過ぎないのですが。
マネージャーは数は多いが資質が伴っていない(もしくは名ばかりマネージャー)であり、プレーヤーは絶対数が足りない、と感じている。
自称マネージャーが多いものだから、そういう人たちはマネジメントをするというよりも、いつまで経ってもコンセプトやら商品案やらをいじくりまわして、市場調査という名のもとに活用されることのない各種データをインターネットから引っ張ってくるだけ。
プレーヤーが足りないから、机上で定められたスケジュールが間に合わない。
よくよく見てみると、その項目の実務担当は全部オレじゃねぇーか。
ちなみにいつの間にか、スケジュール管理もオレ、ってことになりかねない。
これは今の会社がそうだというのではなく、これまで様々なビジネスに関わってきた中で感じたこと。
今の会社は、まだまだ改善の余地はあるだろうけど、その改善の方向を社長以下皆で共有できていると思っている。労働内容は面白い。製造業分野にいたっては、作業自体が心地良すぎて、「えっ?この作業って仕事時間にカウントしちゃってもいいの?」と思ってしまうくらいである。
私の会社のことはさておき、マネージャーとプレーヤーについての考えに戻ってみようか。
マネージャーは実務に基づくマネージメントのスキルが求められる。理想「だけ」を追い求め、理論・空論のみを一生振りかざし続けるだけの人はマネージャーとは言わない。
そしてプレーヤー不足。これは教育ともつながっているのだろう。いつの間にか日本人の多くは汗をかくことを嫌うようになってしまった。頭で考えろ、頭で考えろ、と言われ続けた結果、「理想・空想」を考えるだけの方が楽であるという潜在意識のもとに、プレーヤー=下等な作業の実施者という考えが蔓延している。
プレーヤーは専門性を極めなくてはいけない、やはり難しい職種なのだ。ちなみにマネージメントという専門性を極めたものがマネージャーであるが、それ以外の多くの専門性を身に付けた人たちをひとくくりにプレーヤーと表現されているに過ぎない。
とにもかくにもどちらも専門性を身に付けなくてはならない。
プレーヤーであるべき人ではあるが、「そういう誰でもできる作業は私の作業ではない」と言って放棄してしまうことも多々ある。
考えて作業しろ!の弊害が出ているのである。
誰でもできる作業でありながら、誰もやりがたらないという現象がプレーヤー不足に陥っている要因と思われる。
正確に言うと、誰でもできる作業と言っても少なからずプレーヤーの性格によるサービスや商品の違いは多くの場合出てくるものである。
プレーヤーはプレーヤーとしての役割をきちんとかみしめようではないか。
以上、思ったことをつらつらと書いてみた。
都庁の問題について
昼食の時に見ていたテレビで元都庁職員に対して、東京五輪の3兆円問題について芸能人が噛みついていましたね。
ところで前から思うのだけど、芸能人による批判って本当に上から目線ですよね。
こんな意識だったら、こういう問題だって起こっちゃうよね
民間の意識がないよね
とか。
あんたらが一人の職員だったら、あたかもこういう問題は起こらなかったとでも言わんばかりに。
途中でテレビ切っちゃいました。
最近、テレビをつけてみたものの、「あ、気分悪いな」と思って切っちゃうことがしばしばあります。
現実問題として、五輪の三兆円問題、「俺が職員だったら、こんなことにはなってなかった」っていう人、どれくらいいるの?
なんか公務員だからつるし上げる、税金だからつるし上げるっていう、すでにつるし上げるのが目的になって、そのためのネタを探しているように見えるのは、すごく腹立たしい。
町役場の人、まじめに働いてますよ。
きっとモンスターのような人がいるのでしょうね。対応姿勢は民間の平均値よりもずっと上ですよ。
たらいまわしだってありませんし。(これは規模が小さくて実現しているという面はあるかと思うけど)
片田舎の役場の人たちですけど、民間の私だって見習いたいくらいです。
批判はあって然るべきだけれども、もう少し建設的な批判ってあると思うんだよね。
こんな批判じゃ、都庁職員だって自暴自棄になる人も出てくるんじゃないかね。
正すべきところはあると思うけれど、ちょっとあまりにもテレビの内容が・・・。
いやもう…関わってた人たちがこういう感じだから…どうにもなんないよね
芸能人のこの言葉を借りるならば、「いやもう…テレビ番組だしコメンテーターが芸能人だから…どうにもなんないよね」と言ったところかな。
子供って邪魔かね?
人も色々なので、とやかく言うものでもないのだろうが。
(幼い)子供を預けてたまには遊びに行きたいとか言う人が、けっこうたくさんいますね。
私の場合、妻は精神疾患で子育てゼロ、家事ゼロ。
仕事はあるので保育園に子供二人を預けているけど、土日でも子供を誰かにみてもらって、いわゆる子供抜きのプライベートの時間を持ちたいとはまったく思わない。
平日の夜だって、飲みに行きたいとかまったく思わない。
できることなら、仕事以外の時間は全て子供と一緒に過ごしたいくらい。
毎日朝晩の子供の料理を作って、一緒にお風呂に入って、一緒に寝てるけど、それでもプライベートの時間は子供と一緒にいたい。
やたらと、子供抜き=息抜きという発想が多いのがちょっと信じられない今日この頃。
子供を腕枕で寝かしつけることも息抜きなんだよなぁ。
仕事で面倒くさい奴シリーズ
仕事を振ろうとすると、えー、そんなの聞いてないよー、と言うやつ。
そりゃそうだろ、今初めて言ったんだから。
プロジェクトの途中から加わることになると、必ず、聞いてないよーと宣う。
そういうやつに限って、割と初期から話に加えようとしても、こんな段階で話を聞かされても俺にできることないし、とか言う。
とにかく何か一言以上言わないとすまないやつ。
プロジェクトに入れたくない。
甲子園ロス
毎年この時期になると、題記の通り。
最高潮に盛り上がった決勝戦のあと、全てが終わったちょっとした心の空白。
私にとっては4年に一度の五輪ではなく、甲子園を見るのが大好き。
野球部に所属したわけではないけれど。
今住んでいる地元の高校は県予選では他の高校との合同チームでした。
それはそれで応援できる不思議。
応援するチームが増えていく・・・。