日々のよしなしごと
過去の新聞を読んでるのです。
2015年4月1日の読売の社会面、同じページ内に法テラスとトラス構造の文章がある・・・。
テラスとトラス、紛らわしい。
謝罪の法則
豊洲の環境基準で無害化の約束を果たせなかったことを都知事としてお詫びするとかなんとか。
前々から思ってたのですが、いわゆる社会的地位の高い人の謝罪って、実は自分じゃない人が原因であることについて謝罪する傾向がありますよね。
今回のも、要するに前任者たちの不作為を自分が代わって謝罪しますっていう風にしか感じられません。
自分のことについて謝罪(追求されてやむにやまれずではなく)できる人って社会的地位の高い人には少ないよね。
しかも、自分が原因ではないけど、あえて自分が謝罪することで、「謝罪できる腰の低い人」を演出してるように感じられる。
やれ、前社長が○×でしたので、社長として謝罪しす。
やれ、前総理が○×でしたので、国として謝罪します。
とかね。
今回の小池都知事も、そういう前任者が原因です的な謝罪をしても、まったく私には響きませんよ。
舛添問題と小池問題は同じか?
相変わらず都民ではないですが、都政劇場が面白い。
政治への関心を引くという意味では小池劇場、都政劇場も一役買っていると言えます。
さて、様々な人の意見を見ていて、ふと違和感を覚えるのは舛添氏と小池氏に対する判断基準についてです。
舛添氏はたかだか何十万円、何百万円を食いつぶしてクビになったようなものだが、その後に選ばれた小池氏は、豊洲問題で何十億ものお金を無駄にしている。
都民は馬鹿じゃないか。
このような声がしばしば聴かれますね。
これは比較の仕方が違いますよね。
舛添さんの場合は、「違法ではないが不適切」と言われたものですが、はっきり言って「違法」と言えると思います。横領みたいなもんだもの。何で逮捕されないのか分からないくらいです。
分かりやすく極端な表現をするならば、「何十万だろうと何百万だろうと、横領を犯した罪人には政治は任せられませんよ」という意味で私は支持しません。
お金の額は、あくまでも判断基準の一つであり、判断基準の全てではありません。
一方の小池氏は豊洲問題で数十億円つぎこもうとも、それはあくまでも政策上の経費であるので、罪人と一緒にはなりません。
したがって、舛添氏と小池氏を都の損失出費額が全てであるように議論するのは、はっきり言っておかしいです。
東芝に大損害を出した社長よりも、東芝のパソコンを万引きした人の方が、経営者としてはまだマシだよね、といった議論と同様ではないか?
そういう意味では、舛添氏には都政を司る資格はないと言えます。
ありきたりの言葉になってしまうが、お金だけで物事を見ていると本質が見えなくなる、というのは本当なんだと思う。
※なお、小池氏は都政へのマインド、都政の進め方という点において、まったくもって知事として不適格だと思っています。都政の進め方について言うと、独断で進めているという点において、ひょっとしたら罪に問われてもおかしくないですよね。
安全なら安心なんだけどね
百条委みましたよー。
それにしても、休日にやらなくてもいいのにね。働きかた改革とか云々・・・
あ、あれは国会でやってるから都議会は関係ないのかね?
さてさて、私は東京に住んでないわけだが、大変やね。
都民がすべて私ならば、豊洲は安全なんだろ。だったら安心だ。OK!ってことで終わるのだけど、そうは問屋がおろさない。
冷静に考えると安全なら安心なんだよね。
逆は違うな。安心なら安全とはならないかな。
つまり、ベンゼンとかが食材には影響しないよ、といわれても信じられない人が多いわけだ。
これは何パターンかにわかれそう。
何が不安かは説明できないけど不安というやつら。(←これはね、放っとけよと思う)
豊洲の構造をみたが、理論的に安全じゃないと分析するやつら。
これまで科学が安全だと言っておいて何度も
裏切られてるので、信用できないぞ、というやつら。
基本的には構造をみれば、今回のは安全かなと思っちゃうけど。
その上で問題が発覚したら対処すりゃいいじゃないか、と簡単に考えてしまうけどダメかね?
豊洲に移転して、それを信用できない人は豊洲経由の食材を口にしなきりゃいいだけじゃないのかね?
あるいは移転をやめて、すでに判明してる築地の危険による被害が出たら、「ま、仕方ないよね、移転しなかったのは都民の決定だから」で納得する。
このどちらかでいんじゃね?
築地の問題点を改善していくってのは物理的に難しいんだよね?
もう、シンプルに決めたんでいいんじゃないかね?
国会に関する提案
国会中継を見る機会が増えたわけだが、いやーなんというか会議の類としては、今まで体験したり見たりしてきたものの中で最低レベルの議論の場だよね。
基本的には誹謗中傷合戦。
創造ではなく破壊の場となっている。
質問に対しても答える側もばからしくて付き合いきれないという思いもあるんじゃないかね?
俺なら、無視しちゃう質問も多い。
そして、これだけ多くの人から批判を浴びつつも、それでも人がどれだけ入れ替わっても、国会の状況はずーっとずーっと変わらない。
これってもはや国会議員の資質じゃなくて構造的・慣習的な問題が潜んでいるとしか思えない。
恐らく、私を含めて、今国会を批判している人たちが国会議員になったとしても同じことが繰り返されるのではないだろか?
さて、そこで提案。
国会の時間をゴールデンタイムに移して(時間的にその時間の労働は厳しい?ちょっとブラック発言かな?)、民放で放映すればいいんじゃないかね?
議論としては最低・最悪だけれども、バラエティーとして見てみると面白いよ。
何、まじめな顔してこんな質問してんだろーとか、つっこみどころ満載。
そういうわけで、最近は国会をそういう新たな視点で見ている。
リアルタイムだとよいが、アフレコでも入れるとますます面白くなりそう。
(リアルタイムでアフレコは難しいかな?)
国会に未来あれ!
子育て支援?
なんかモヤモヤの残る現代。
子育てと仕事の両立という名で、実は仕事の推奨。
子供が病気でも仕事ができるようにと、病児保育なるものもできている(昨年、そんなドラマもあったような)。
綺麗事はさておき現実は仕事の納期が第一優先なんだよね。
子供が病気なら納期を1週間伸ばしたっていいじゃないか、という風潮にはならいものかね。
納期と言うと語弊があるね。
本当の納期はなかなか関係者が多くてずらせないよね。
正確にはスケジュールに則った所々に存在する各種締切日。
そんなもんずらしてずれたぶんをあとで皆で頑張ろうぜ。
仕事仲間の二児のお母さんは子供二人がインフルにかかり、共同で仕事をしている私にほぼ丸投げになっている案件がある。
申し訳ないと謝ってくれるが、その気持ちだけで十分である。
ぜひぜひ子供たちが治るまで側にいてあげてくださいな。
最終締切さえずらさなければ途中途中の中間報告などの締めは「すみません、子供が風邪引いたので1週間延ばしてください」と言える世の中にしたいものです。
逆に言うならば、案件についてパートナーがいる場合は、案件に取りかかる前にお互いに、家庭環境に配慮しつつ何かあれば遠慮なく子供優先でスケジュール調整しましょうね、ということを約束しあえるように進めていきたいですな。
将来的には契約書に当然のように掲載されている災害や疾病の文言のように、子供が風邪を引いたときはスケジュールを延期できる、みたいな文言がフォーマットとして載っていて誰もが疑問を抱かないような社会になってるといいな。
子供としっかりと向き合うことのできる時間は限られている。
子育て中に仕事から離れると使い物にならないとも言われてるけど、しっかりと子育て
をしてきた人たちは別の武器をしっかり身に付けていると感じる。
その会社に特化した知識についてハンディが生じたとしても、どの会社でも通用するような新たな視点をみにつけて戻ってくる人が多いように感じるのは私だけかな?
天皇の退位問題
天皇の退位問題以外もそうなのですけど、まぁ、何というか、いわゆる偏差値高き人たちの議論っていうのを聞いていると、重要なものは
- 理屈が重要
- 建前が重要
- 理論上の矛盾がなく整合性がとれていることが重要
という風に見えてしまいます。
天皇は国政に関する権限を有しないという憲法の条文は分かるのだけれども、建前はともかくも本質は天皇も人間なんだってことがわからないんだね。
少なくとも最終的に天皇の退位を判断するのが国会である以上、天皇の意志による退位とも違うような気がするけどね。
あくまでもきっかけが天皇のお言葉だっただけで、判断を国会がする以上、国会によるコントロールはできてると思うんだけどね。
それでも、天皇のお言葉がきっかけとなるだけで、天皇が国政に介入していると言うのはいかがなものでしょうかね。
そもそも、天皇が高齢であるにも関わらず国事行為や公示行為を多くこなしていることについて問題意識はなかったんだろう?
天皇が何も言わなかったらそのまま高齢者に無理させていたんだろう?
天皇自身が希望を発せなくても問題意識を持って早め早めに国会が手を打っていればこんな問題はおきなかったんだよね。
けれども国会が今回の問題に関して自らの意志で問題意識を持って議論を始めるなんてできっこないだろ。
だったら天皇のお言葉きっかけでいいじゃないか。
恐らく、恐らく、恐らく、政治の世界や官僚機構もそうなんだけど、東大や京大出身者はマネジメント力はない。人間力も低い人が多い。
それでもせめてものも救いは、東大出身者の中で官僚になるクラスの偏差値の奴らは、あくまでも東大の中では「普通の感覚」に近い層であることであろうか。
それでも世間一般からはずれてるので、人の気持ちが分からない的外れな議論ばかりするんだろうなぁ。
それでも学歴切り口で行くならば・・・多分、学歴的な頭の良さと人間的なバランスの良さで言うと、九州大学、東北大学、大阪大学、慶応大学あたりが官僚機構の中枢となるともっと国は良くなるんじゃないかと思う。
ちなみに上記大学は自分が社会に出てから、見習いたいなという側面を持った人たちの出身大学であることが多い。
東大、京大は、技術開発や条文作成に勤しむことこそ、つまりマネージャーではなくプレーヤーとしてこそ、その実力を発揮する人たちなんだと思う。
とにもかくにも人の心が分かる人たちにこそ国を作る先導をしてもらいたいし、企業のマネージメントをしてほしい。
天皇退位問題は上記を思わせる出来事の一つである。