国会に関する提案
国会中継を見る機会が増えたわけだが、いやーなんというか会議の類としては、今まで体験したり見たりしてきたものの中で最低レベルの議論の場だよね。
基本的には誹謗中傷合戦。
創造ではなく破壊の場となっている。
質問に対しても答える側もばからしくて付き合いきれないという思いもあるんじゃないかね?
俺なら、無視しちゃう質問も多い。
そして、これだけ多くの人から批判を浴びつつも、それでも人がどれだけ入れ替わっても、国会の状況はずーっとずーっと変わらない。
これってもはや国会議員の資質じゃなくて構造的・慣習的な問題が潜んでいるとしか思えない。
恐らく、私を含めて、今国会を批判している人たちが国会議員になったとしても同じことが繰り返されるのではないだろか?
さて、そこで提案。
国会の時間をゴールデンタイムに移して(時間的にその時間の労働は厳しい?ちょっとブラック発言かな?)、民放で放映すればいいんじゃないかね?
議論としては最低・最悪だけれども、バラエティーとして見てみると面白いよ。
何、まじめな顔してこんな質問してんだろーとか、つっこみどころ満載。
そういうわけで、最近は国会をそういう新たな視点で見ている。
リアルタイムだとよいが、アフレコでも入れるとますます面白くなりそう。
(リアルタイムでアフレコは難しいかな?)
国会に未来あれ!
子育て支援?
なんかモヤモヤの残る現代。
子育てと仕事の両立という名で、実は仕事の推奨。
子供が病気でも仕事ができるようにと、病児保育なるものもできている(昨年、そんなドラマもあったような)。
綺麗事はさておき現実は仕事の納期が第一優先なんだよね。
子供が病気なら納期を1週間伸ばしたっていいじゃないか、という風潮にはならいものかね。
納期と言うと語弊があるね。
本当の納期はなかなか関係者が多くてずらせないよね。
正確にはスケジュールに則った所々に存在する各種締切日。
そんなもんずらしてずれたぶんをあとで皆で頑張ろうぜ。
仕事仲間の二児のお母さんは子供二人がインフルにかかり、共同で仕事をしている私にほぼ丸投げになっている案件がある。
申し訳ないと謝ってくれるが、その気持ちだけで十分である。
ぜひぜひ子供たちが治るまで側にいてあげてくださいな。
最終締切さえずらさなければ途中途中の中間報告などの締めは「すみません、子供が風邪引いたので1週間延ばしてください」と言える世の中にしたいものです。
逆に言うならば、案件についてパートナーがいる場合は、案件に取りかかる前にお互いに、家庭環境に配慮しつつ何かあれば遠慮なく子供優先でスケジュール調整しましょうね、ということを約束しあえるように進めていきたいですな。
将来的には契約書に当然のように掲載されている災害や疾病の文言のように、子供が風邪を引いたときはスケジュールを延期できる、みたいな文言がフォーマットとして載っていて誰もが疑問を抱かないような社会になってるといいな。
子供としっかりと向き合うことのできる時間は限られている。
子育て中に仕事から離れると使い物にならないとも言われてるけど、しっかりと子育て
をしてきた人たちは別の武器をしっかり身に付けていると感じる。
その会社に特化した知識についてハンディが生じたとしても、どの会社でも通用するような新たな視点をみにつけて戻ってくる人が多いように感じるのは私だけかな?
天皇の退位問題
天皇の退位問題以外もそうなのですけど、まぁ、何というか、いわゆる偏差値高き人たちの議論っていうのを聞いていると、重要なものは
- 理屈が重要
- 建前が重要
- 理論上の矛盾がなく整合性がとれていることが重要
という風に見えてしまいます。
天皇は国政に関する権限を有しないという憲法の条文は分かるのだけれども、建前はともかくも本質は天皇も人間なんだってことがわからないんだね。
少なくとも最終的に天皇の退位を判断するのが国会である以上、天皇の意志による退位とも違うような気がするけどね。
あくまでもきっかけが天皇のお言葉だっただけで、判断を国会がする以上、国会によるコントロールはできてると思うんだけどね。
それでも、天皇のお言葉がきっかけとなるだけで、天皇が国政に介入していると言うのはいかがなものでしょうかね。
そもそも、天皇が高齢であるにも関わらず国事行為や公示行為を多くこなしていることについて問題意識はなかったんだろう?
天皇が何も言わなかったらそのまま高齢者に無理させていたんだろう?
天皇自身が希望を発せなくても問題意識を持って早め早めに国会が手を打っていればこんな問題はおきなかったんだよね。
けれども国会が今回の問題に関して自らの意志で問題意識を持って議論を始めるなんてできっこないだろ。
だったら天皇のお言葉きっかけでいいじゃないか。
恐らく、恐らく、恐らく、政治の世界や官僚機構もそうなんだけど、東大や京大出身者はマネジメント力はない。人間力も低い人が多い。
それでもせめてものも救いは、東大出身者の中で官僚になるクラスの偏差値の奴らは、あくまでも東大の中では「普通の感覚」に近い層であることであろうか。
それでも世間一般からはずれてるので、人の気持ちが分からない的外れな議論ばかりするんだろうなぁ。
それでも学歴切り口で行くならば・・・多分、学歴的な頭の良さと人間的なバランスの良さで言うと、九州大学、東北大学、大阪大学、慶応大学あたりが官僚機構の中枢となるともっと国は良くなるんじゃないかと思う。
ちなみに上記大学は自分が社会に出てから、見習いたいなという側面を持った人たちの出身大学であることが多い。
東大、京大は、技術開発や条文作成に勤しむことこそ、つまりマネージャーではなくプレーヤーとしてこそ、その実力を発揮する人たちなんだと思う。
とにもかくにも人の心が分かる人たちにこそ国を作る先導をしてもらいたいし、企業のマネージメントをしてほしい。
天皇退位問題は上記を思わせる出来事の一つである。
東京オリンピックの予算問題
日々、ワイドショーをにぎわしている問題。
最近は東京が熱いですね。
と、片田舎から眺めております。
なんか、同じようなブログを書いたような書いてなかったような、、、以前のものとかぶってたらすみません。
こちらの写真は特に意味はありません。。。
さて、舛添さんから小池さんに知事が代わって、会場の変更を試みたりして予算圧縮を思考されたようですね。
ところで、会場を決定するまでのプロセスの中で、ある程度同様の議論ってされてなかったのですかね?
都知事が変わるたびに、ゼロから話し合いを設けるというのはとても非生産的だなと思います。
これは会社での打合せもそうなんだけど、途中から「そもそも論」に入ってしまうと以前に検討してクリアした、あるいは目をつむった問題がまた蒸し返されるのです。
堂々巡りになってしまいます。
特に東京都の場合、都庁の方針でこれまでの議論がすべてひっくり返されるパターンもあるわけです。
それを容認するのであれば、今回の舛添さんの任期途中での退場は仕方がないとしても、知事の任期後のことまで視野に入れて行政が目標を作るのってとてもリスクが高い気がします。
知事の意向の中で、少なくとも知事選が行われるまでの間の政策を考えるにとどめておいた方が良い事柄も多いのではないでしょうか。
小池さんのオリンピック会場問題への切り込みは「再検討」という名でパフォーマンスの面が大きかったのではないかなと思います。実際に400億円の予算削減は見込めそうではありますが、それも現実的にその予算で納まるのかどうかは分かりません。
恐らく、小池さんが再検討するまでもなく、すでにいくつかの問題は検討されていたにも関わらず、再度遡上に上がってしまったものも少なからずあるのではないかと疑っております。
どうなんでしょうね?
足りないのはマネージャー? プレーヤー?
最近仕事をしていてよく思う。
マネージャーを育てるべきなのか?プレーヤーを育てるべきなのか?
ちなみに私はいい歳のわりには、これらを担う立場にない「1プレーヤー」に過ぎないのですが。
マネージャーは数は多いが資質が伴っていない(もしくは名ばかりマネージャー)であり、プレーヤーは絶対数が足りない、と感じている。
自称マネージャーが多いものだから、そういう人たちはマネジメントをするというよりも、いつまで経ってもコンセプトやら商品案やらをいじくりまわして、市場調査という名のもとに活用されることのない各種データをインターネットから引っ張ってくるだけ。
プレーヤーが足りないから、机上で定められたスケジュールが間に合わない。
よくよく見てみると、その項目の実務担当は全部オレじゃねぇーか。
ちなみにいつの間にか、スケジュール管理もオレ、ってことになりかねない。
これは今の会社がそうだというのではなく、これまで様々なビジネスに関わってきた中で感じたこと。
今の会社は、まだまだ改善の余地はあるだろうけど、その改善の方向を社長以下皆で共有できていると思っている。労働内容は面白い。製造業分野にいたっては、作業自体が心地良すぎて、「えっ?この作業って仕事時間にカウントしちゃってもいいの?」と思ってしまうくらいである。
私の会社のことはさておき、マネージャーとプレーヤーについての考えに戻ってみようか。
マネージャーは実務に基づくマネージメントのスキルが求められる。理想「だけ」を追い求め、理論・空論のみを一生振りかざし続けるだけの人はマネージャーとは言わない。
そしてプレーヤー不足。これは教育ともつながっているのだろう。いつの間にか日本人の多くは汗をかくことを嫌うようになってしまった。頭で考えろ、頭で考えろ、と言われ続けた結果、「理想・空想」を考えるだけの方が楽であるという潜在意識のもとに、プレーヤー=下等な作業の実施者という考えが蔓延している。
プレーヤーは専門性を極めなくてはいけない、やはり難しい職種なのだ。ちなみにマネージメントという専門性を極めたものがマネージャーであるが、それ以外の多くの専門性を身に付けた人たちをひとくくりにプレーヤーと表現されているに過ぎない。
とにもかくにもどちらも専門性を身に付けなくてはならない。
プレーヤーであるべき人ではあるが、「そういう誰でもできる作業は私の作業ではない」と言って放棄してしまうことも多々ある。
考えて作業しろ!の弊害が出ているのである。
誰でもできる作業でありながら、誰もやりがたらないという現象がプレーヤー不足に陥っている要因と思われる。
正確に言うと、誰でもできる作業と言っても少なからずプレーヤーの性格によるサービスや商品の違いは多くの場合出てくるものである。
プレーヤーはプレーヤーとしての役割をきちんとかみしめようではないか。
以上、思ったことをつらつらと書いてみた。
都庁の問題について
昼食の時に見ていたテレビで元都庁職員に対して、東京五輪の3兆円問題について芸能人が噛みついていましたね。
ところで前から思うのだけど、芸能人による批判って本当に上から目線ですよね。
こんな意識だったら、こういう問題だって起こっちゃうよね
民間の意識がないよね
とか。
あんたらが一人の職員だったら、あたかもこういう問題は起こらなかったとでも言わんばかりに。
途中でテレビ切っちゃいました。
最近、テレビをつけてみたものの、「あ、気分悪いな」と思って切っちゃうことがしばしばあります。
現実問題として、五輪の三兆円問題、「俺が職員だったら、こんなことにはなってなかった」っていう人、どれくらいいるの?
なんか公務員だからつるし上げる、税金だからつるし上げるっていう、すでにつるし上げるのが目的になって、そのためのネタを探しているように見えるのは、すごく腹立たしい。
町役場の人、まじめに働いてますよ。
きっとモンスターのような人がいるのでしょうね。対応姿勢は民間の平均値よりもずっと上ですよ。
たらいまわしだってありませんし。(これは規模が小さくて実現しているという面はあるかと思うけど)
片田舎の役場の人たちですけど、民間の私だって見習いたいくらいです。
批判はあって然るべきだけれども、もう少し建設的な批判ってあると思うんだよね。
こんな批判じゃ、都庁職員だって自暴自棄になる人も出てくるんじゃないかね。
正すべきところはあると思うけれど、ちょっとあまりにもテレビの内容が・・・。
いやもう…関わってた人たちがこういう感じだから…どうにもなんないよね
芸能人のこの言葉を借りるならば、「いやもう…テレビ番組だしコメンテーターが芸能人だから…どうにもなんないよね」と言ったところかな。
子供って邪魔かね?
人も色々なので、とやかく言うものでもないのだろうが。
(幼い)子供を預けてたまには遊びに行きたいとか言う人が、けっこうたくさんいますね。
私の場合、妻は精神疾患で子育てゼロ、家事ゼロ。
仕事はあるので保育園に子供二人を預けているけど、土日でも子供を誰かにみてもらって、いわゆる子供抜きのプライベートの時間を持ちたいとはまったく思わない。
平日の夜だって、飲みに行きたいとかまったく思わない。
できることなら、仕事以外の時間は全て子供と一緒に過ごしたいくらい。
毎日朝晩の子供の料理を作って、一緒にお風呂に入って、一緒に寝てるけど、それでもプライベートの時間は子供と一緒にいたい。
やたらと、子供抜き=息抜きという発想が多いのがちょっと信じられない今日この頃。
子供を腕枕で寝かしつけることも息抜きなんだよなぁ。